2013年08月10日

『1900年』 ベルナルド・ベルトルッチ 監督



『1900年』
 原題:Novecento 1976年公開 イタリア語映画

監督: ベルナルド・ベルトルッチ
撮影: ヴィットリオ・ストラーロ
音楽: エンニオ・モリコーネ
出演: ロバート・デ・ニーロ, ジェラール・ドパルデュー, ドミニク・サンダ, バート・ランカスター, ドナルド・サザーランド, アリダ・ヴァリ, ステファニア・サンドレッリ

この前初めて見た。
なにしろ上映時間が5時間以上もある大作なので、今日はちょっと時間が無くて・・・、とか寝不足で・・・とか自分に言い訳して、見るのを先延ばしにしてきたのだった。

で、ついに見たわけだが、本当にすばらしかった。
難解な映画かと思って身構えて見たのだけど、むしろわかりやすく、豊かな物語世界にたっぷりと身を浸すことができる、愉悦に満ちた5時間だった。
画面の美しさという点でも、映画史上最高じゃないかと思う。北イタリアの農村風景の息を呑むような美しさ。
撮影はヴィットリオ・ストラーロだ。


物語
20世紀の初め、1901年の同じ日に生まれた二人の男。
一人は地主の跡継ぎとして生まれたアルフレード。もう一人は小作人の家に生まれた父なし子オルモ。
幼なじみとして育った二人の半世紀にわたる友情と葛藤が、20世紀前半の激動の時代を背景に描かれる。

なお、生まれた年を1900年としているサイトが多いようだけど、ジュゼッペ・ヴェルディが死んだ年だとすると1901年だろうと思う。原題の“Novecento”はイタリア語で900の意味で、1900年代とか20世紀とかいう意味でも使うらしい。
もっともthe Internet Movie Database によると、イタリアで第一次大戦に徴兵されたのは1899年生まれまでだそうで、二人が戦争から復員するという設定はいずれにしてもおかしいらしいが。
http://www.imdb.com/title/tt0074084/
http://www.imdb.com/title/tt0074084/trivia?tab=gf&ref_=tt_trv_gf

「ジュゼッペ・ヴェルディが死んだ」と嘆き叫ぶ声から物語が始まる。ヴェルディはイタリア統一運動に寄与したとも言われるほどの国民的な作曲家だけど、その死によって19世紀が終わり、20世紀的なイタリアの悲劇が始まることを象徴的に示しているのだろう。
もっとも語り口は19世紀的というか、実に堂々とした叙事詩的なものだ。
オペラ的と言っても良いかもしれない。
ベルトルッチはヴェルディが好きだそうだけど、ヴェルディっぽい感じも受けた。
血の復讐、親子の葛藤、集団間の激しい対立、沸き立つような群衆のエネルギー、美しい音楽に彩られた荘厳なドラマ。
リゴレットと呼ばれているせむしの男性も出てくる。

特に少年時代の農村のみずみずしい描写がとてもよかった。
農民たちの臭ってくるような生々しさとか。

汽車の線路に横たわって度胸を示すシーンは『カラマーゾフの兄弟』からの引用だろうか。

二人の主人公以外にも印象的な登場人物が多い。たとえば農園の管理人で、黒シャツ隊の幹部としてのし上がっていくアッティラ。
でも歴史映画としては、あまりに悪役然とした悪役で、立ち上がる農民たちと明確に対比されているのがちょっと意外だった。
ファシストが悪役として描かれることに異存はないにしても、あんなにサディスティックに描かなくても・・・。悪魔のように歯をむき出して笑うし、名前からしてアッティラだし。
アッティラってイタリアでは珍しくない名前なのかな。もしかしてあだ名?
とはいえ彼の強烈な悪の魅力があればこその盛り上がりだろう。リアルな個人を描くより、ファシズムの悪をすべて彼に体現させたのかもしれない。
まあ実際、時流に乗って威張ってる人たちには卑劣な人が多いんだろうと思う。


どうも私は少年時代から続く友情と対立のドラマが好きなようだな。今までその手の映画で一番好きなのは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(アマゾンへ)だったけど、『1900年』は勝るとも劣らない。デニーロもモリコーネも共通してるけど、ひょっとして影響関係があるのかな。そういえばセルジオ・レオーネ監督の『ウェスタン』のシナリオにベルトルッチは関わってるんだね。


ベルトルッチ監督の映画は半分くらいしか見てないけど、その中では『ドリーマーズ』が一番好きだった(今は『1900年』が一番好き)。パリの五月革命を背景にした青春映画。小品なので『1900年』とは比較できないけど、共通する点も多かった。
『1900年』でアルフレードが愛する女性アーダは、『ドリーマーズ』でエヴァ・グリーンが演じた女の子を思い出させる。奔放で芝居がかっているところとか、実は初めてだったりするところとか。ベルトルッチの好きな女性像なのかな。





ネタバレ気味の感想

最後のシーンがよくわからなかったけど、次のような解釈をしてみた。

オルモが「地主はもう死んだ。友達のアルフレードは殺してはいけない」といってアルフレードの命を助けるわけだが、それに対してアルフレードが「地主は死んでいない」と言う。まだ死んでいないから殺されなければいけない、という意味か。自殺をほのめかしているのだろう。
で、それを止めようとするオルモとつかみ合いになる。
年寄りになってからの二人も同じようにつかみ合ってる。
年寄りのアルフレードは少年時代のように汽車の線路に横たわる。今度はレールに頭を乗せ、轢かれるようにして。
その時代に赤旗で飾り立てた汽車が走っているとは思えない(よく知らないけど)ので、あれは幻想の汽車だろう。勇敢さを示したあの少年時代に戻りたい、それ以後の臆病な自分を殺したい、という願望を示している。

でも、それにしてはなんとなくおかしみとか開放感が感じられるラストなんだよな。
ままならない歴史の重みを脱して、思い出の中にある少年時代へと心を解き放った、という感じかな。

そういえば『ラスト・エンペラー』のラストも、子供時代のコオロギの思い出に帰るんじゃなかったっけ。
posted by 読書家 at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月03日

『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』 (玄光社MOOK)



バンド・デシネとはフランス語圏のマンガのこと。BD(ベー・デー)ともいう。
多くの名作や新作が翻訳されて、日本にも広まってきているが、りっぱなガイドブックが出るまでになったか。

メビウス、エンキ・ビラルなどの巨匠から、若手の最近の動向まで、広く紹介してくれている。
私は「はじめての人」ではないので、そんなの知ってらあ、というような記事も多かったけど、図版も多くて、見て楽しいガイドブックだった。
今後の翻訳予定作のラインナップとか、未訳作の紹介とか、わくわくしながら読んだ。昔なら、おもしろそうだけどどうせ訳されないんだろうな、という静かな諦めとともに読むしかなかったところだど、今なら、待っていれば多くが訳されるのだ。

自伝エッセイ風のものとかルポルタージュとか、バンド・デシネの世界が多様化しているのはうれしいような気もするけど、一方で、普通の娯楽SFやファンタジーにあまり期待できるものがなさそうなのが残念だった。
〈剣と魔法もの〉とかもたくさん描かれているというし、ハイブロウなものばかりでなく、普通におたく的な人が楽しんでるものもあるんじゃないのかな。『時の鳥を求めて』もまあまあおもしろかったし。

BDに詳しい人たちが三冊ずつ選んでるので、私も三冊選んでみた。
1.天空のビバンドム ニコラ・ド・クレシー
2.ペルセポリスI イランの少女マルジ マルジャン・サトラピ
3.MONSTER モンスター[完全版]  エンキ・ビラル
三冊じゃ少なすぎるよ! って誰に依頼されたわけでもないのに。


『ユリイカ 2013年3月臨時増刊号』総特集☆世界マンガ大系 BD、グラフィックノベル、Manga…時空を結ぶ線の冒険

このムックも喜んで買ったのだけど、難しい論文が並んでて私には歯ごたえありすぎた。
図版もほとんど無いし。
青土社のサイト
http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791702510


関連リンク
ベデフィル
http://books.shopro.co.jp/bdfile/
ユーロマンガ
http://www.euromanga.jp/
国書刊行会 BDコレクション
http://www.bdcollection.jp/
posted by 読書家 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画、画集など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月28日

『マルテの手記』 リルケ著





『マルテの手記』 リルケ著

積ん読状態が生涯続くものと思われた『マルテの手記』だが、「貴婦人と一角獣」展を見たのをきっかけに読むことにした。
『マルテの手記』中の、このタピスリーを描写した文章が展覧会場にも掲げられていた。

この美しいタピスリーをみることができたのもうれしかったけど、おかげでリルケに出会えたのも同じくらいうれしかった。

リルケという名前のせいか、リリカルで蝶よ花よみたいな感じの小説かと勝手に思っていたのだけど、想像とはかなり違った。

孤独と不安に満ちた恐ろしい小説だった。

『マルテの手記』は1904年から1910年までにわたって書かれた小説で、デンマーク貴族出身の無名詩人、マルテによる手記という設定。
マルテはリルケの分身という面もあるようだけど、自伝ではない。
統一したストーリーはなくて、パリでの苦悩に満ちた生活、子供時代の思い出、歴史や聖書のエピソードをめぐる考察などが、脈絡なくつづられる。

詩人の非常に鋭敏な感性がとらえた諸々の事象が、とても喚起力の強い硬質な文章で語られる。
磨き込まれた宝石のような芸術品、というたとえはちょっと違うか。さわると怪我をしそうなあちこち尖ってひび割れた宝石、というたとえはいかがでしょう(下手なたとえはやめたほうがいいか)。

読みやすくはないけれど、エピソードや描写がとても印象的なので、退屈とは無縁だった。

岩波文庫版(望月市恵 訳)で読み始めたけど、途中から新潮文庫版(大山定一 訳)と併読した。
読み比べてやっと意味がわかったり、まったく別の意味に訳されてて首をひねったり。
新潮文庫版の方が若干読みやすいと思う。
岩波文庫版のほうが鋭い感じで、ちょっと好きかな。
原語もかなり難解らしいので、読みにくいのは翻訳が悪いわけじゃないと思う。


堀辰雄の『風立ちぬ』は、途中からいつの間にか別の話になっていたりして、不思議な構成の小説だなあと思ったのだけど、今思うと、リルケの影響だったのかもしれない。
青空文庫には堀が訳したリルケがたくさん載ってる。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person75.html#sakuhin_list_1
『マルテの手記』は部分訳。Kindle にも載ってるけど部分訳のはず。「マルテの手記」堀 辰雄 訳



ジョルジュ・サンド作『ジャンヌ』
これにも「貴婦人と一角獣」についての記述がある。
これも読もうかな。でもネットで見た限りでは評価が高くないようだ。
代表作の『愛の妖精』を先に読んだ方がいいかな。


ところで・・・タピスリーでは一角獣と獅子はほぼ同じ比重で描かれているのに、何で一角獣ばかりが強調されるのだろう。テレビや雑誌の解説でも獅子はほぼ無視されていたが。

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posted by 読書家 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 純文学など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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