2012年08月15日

『七夜物語』 川上弘美 著



『七夜物語』(上下巻) 川上弘美 著 朝日新聞社

作者の川上弘美さんは、子どもの頃から「ナルニア国物語」「メアリー・ポピンズ」「ツバメ号とアマゾン号」などの児童文学・ファンタジーに親しんでいました。おとなになっても卒業せず、今でも毎年読み返すのだそうです(BS11「宮崎美子のすずらん本屋堂」のインタビューより)。
そんな川上さんが満を持して挑んだ本格長編ファンタジーです。

お話(帯より)
小学校四年生のさよは、母さんと二人暮らし。ある日、図書館で出会った『七夜物語』というふしぎな本にみちびかれ、同級生の仄田くんと夜の世界へ迷いこんでゆく。
大ねずみのグリクレル、甘い眠り、若かりし父母、ミエル……七つの夜をくぐりぬける二人の冒険の行く先は?


設定はエンデの『はてしない物語』にも似てますね。雰囲気はだいぶ違いますが。
意外に教訓色の強いお話でしたが、川上さんらしい、やわらかい肌合いの、懐かしいような寂しいような冒険物語です。深く心に染みいります。
とくに前半がおもしろかったです。「夜の世界」がいったい何なのか全く分からないまま、どんな世界が広がっていくのかわくわくしながら読みました。

主人公の二人がとてもけなげで、
「さよちゃんがんばって」
「仄田くんがんばって」
と応援せずにはいられません。
もっとも、他人事のように応援するだけではいけないようなのですが。

世界設定や物語のおもしろさ(どんでん返しとかそういう意味での)で読ませるタイプの小説ではないので、最近のサービスたっぷりのファンタジーに慣れてしまった者としてちょっと物足りなさを感じないでもなかったです。
しかし、さよと仄田くんの心に寄り添いながら、その寂しさや哀しさ、思いやりや勇気が丁寧に描かれていくので、二人と一緒に旅を続けるような気持ちで最後まで楽しく読みました。

全体に楽しい物語ですが、ふたりが受ける試練はかなり厳しいものです。見たくもない自分の心の奥を見せられてしまったりもします。
とくに仄田くんの試練は私にとってもかなりきついものでした。それだけに、弱くて情けない子なりに勇気を奮い起こし、困難に立ち向かう様は感動的です。
わたしも仄田くんのように成長できればいいのですが。

冒険をとおして二人が成長していくさまは気持ちいいものですが、成長する前の子どもたちだってやっぱり魅力的です。
成長にともない失われてしまうものへの愛惜もよく描かれていると思います。
小学四年生という年齢は、子ども時代の終わり頃、といってもいいでしょう。
世界や他者と出会い、この年代にしか味わえないような心の震えを味わいます。
さよちゃんがみつけた『七夜物語』は決して内容を憶えておけない不思議な本ですが、同じように、あんなにも心を捉えた日々が、忘れられてしまうのはなんとも寂しいことです。でも、たとえ思い出せなくても、その経験は心の奥にきっと残っているのでしょう。
子ども向けの本が多くの大人をも引きつけるのは、本をとおしてあのかけがえのない日々を、もう一度取り戻せるような気がするからかもしれません。

エンデのように論理的に組み立てられてはおらず、多くの謎があいまいなまま残されます。
わかったことにして終わりにするのではなく、読む人が考え続けるべき問題なのでしょう。

酒井駒子さんの挿絵も大きな魅力の一つです。
新聞に連載されていた時、文章は読んでませんでしたが絵は楽しみにしてました。
雑誌は新聞の挿絵には魅力的なものも多いのに、書籍化の際に消えてしまうのは残念ですので、うれしい配慮です。
サイズがもっと大きければ言うこと無いのですが・・・。

posted by 読書家 at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | SF,ファンタジーなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月11日

『ダークナイト ライジング』 クリストファー・ノーラン 監督

とてもおもしろかった。
三部作完結編にふさわしい傑作。
前作までのリアル路線も引き継ぎつつ、アメコミ映画らしい荒唐無稽な部分がちゃんとあるのがうれしい。ユーモアやロマンスもあるし、ロマン主義的な血の物語とかも入っていて、大いに楽しんだ。
前作『ダークナイト』はリアル指向が行き過ぎて、ヒーローものとしての骨格を壊すところまで行ってしまっていたと思う。すごいけど若干ちぐはぐな印象も受けた(『ダークナイト』だって傑作だとは思ってるけど、あまりに世評が高いので、ついケチを付けたくなる 『ダークナイト』の感想)。
今作はむしろ『バットマン・ビギンズ』を引き継いでいる。
これから見る人は『バットマン・ビギンズ』を見直してからにしましょう。

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プロットには矛盾というか、「?」という部分も結構あったけど、あまり気にならなかった。適度にマンガっぽさを保ってるので、誤差の範囲内として許せる。
『ダークナイト』の場合はシリアスすぎてそういう見方が許されず、プロットの穴が目立ってしまっていたと思う。またケチをつけてしまったが。

悪役ベインは迫力たっぷり。
単なる力持ちと思いきや、なんだかすごい悪の哲学を持っていそうだ。でも、やることは結局これか、というがっかり感はあったけど。
北一輝は眼の病気で、痛み止めの薬を常用していたために論旨が支離滅裂で誇大妄想的だった、という説があるけど、そういうことなのかもしれない。
ラーズ・アル・グールの思想がどんなものだったか忘れてしまっていたので、どういうふうにつながるのかよくわからないところもあった。
結局はエピゴーネンにすぎないのかな。破門されたというわりにははみ出す部分がなかった気がする。

欠点てわけじゃないけど、女性陣の顔や雰囲気がみんな似通っていることが気になった。この人って生きてたんだっけ? とか、いつの間に金持ちに? とかちょっと混乱した。外人の顔を区別できない私にもちょっと責任あるかもしれない。
レイチェルへの想いを表すためにわざと似せたのかな。

オキュパイ運動とからめて右派イデオロギーを読み取る向きもあるらしい。
そうなのかもしれないけど、ここは「何事もやり過ぎは良くない」程度に受け取っておけばいいんじゃないかなあ。あまり表面の類似に引きずられない方がいいような気がする。
たとえばデント法を重慶の打黒運動に重ね、薄熙来の裏の顔を暗示したのだと見ることもできるけど・・・。時事ねたより、もっと普遍を目指した映画だと思う。


検索してみると、賛否がわかれているようだ。
否定派を代表して「町山智浩のアメリカ映画特電」
http://enterjam.com/?eid=5706#sequel

また、町山氏が紹介していた「アメコミ原作映画について素晴らしい著作がある評論家ジュリアン・ダリウスの徹底的な「ダークナイト・ライジング」評」
Why The Dark Knight Rises Fails
英語。まだ全部は読んでないけど、これは読む価値あると思った。でも誰かが日本語訳してくれるのを待てば良かったかなあ。始めの部分だけならこちらで訳してくれている。
じょうぶなタイヤ。「なぜダークナイトライジングは失敗したのか?」海外のダークナイトライジング評<翻訳>

個々の指摘には、なるほど、と思えるものも多いけど、本質的な問題なんだろうか。
欠点が多いのは認めるけど、それを許せる気になるかどうかが結局は問題だからなあ。
細部に引っかかってたら楽しめないってことは『ダークナイト』で学んでいたので、辻褄なんて気にしないぞ、という固い決意で望んだので私は平気だった。
『ダークナイト』のリアリティ・レベルを引きずったままライジングを見て批判してる人が多いんじゃないかって気がする。
影の同盟だの「穴」だのが存在する世界でそんな細かいこと気にしなくてもいいのでは? 常温核融合が実現しているくらいだから物理法則からして違う世界なのかもしれないし。

これから見る人にもその方法をお薦めする。
矛盾点にこだわって見過ごしてしまうにはあまりにもったいない、エネルギーに満ちた作品なので。
エンヤ聞いたり『求めない』とか読んで寛かな心で見るといいでしょう。
結局、見る者の心掛けしだいってことですね。

町山氏は、何で脚本の欠点に目をつぶらなければいけないのか? 何で欠点を観客が自分で補わなければいけないのか? と質問されてましたが、それに答えるなら、「その方が楽しめるから」となりましょう。
もちろん職業的に映画を見ている人には別の倫理基準があるでしょうけど。

公平に見て、欠点はあっても通常の娯楽映画の水準を大きく超えていると思う。
でもノーランが大物になったために脚本をチェックできる人がいなくなっているんだとすれば問題だな。

あと、町山智浩氏の指摘で疑問を感じたところもあるので、私の考えも以下に書いてみる。

ネタバレになります。

町山智浩氏:過去に脱走者がいるのに、「穴」に看守をつけないのはおかしい。

わたし:この穴は「かつて一人の子どもだけが脱出した」という神話的な場所として存在し続ける必要がある。
 タリアやベインのカリスマ性の源泉のひとつにもなっていると思う。そのまま残すのは不思議でない。
 看守を置いたら単なる刑務所になってしまう。「子ども」の特別性が失われてしまうだろう。
 また、タリアにとっては、自分が抜け出した「穴」からあなたは抜けられるかしら、という一種の挑戦の意味もあると思う。


町山智浩氏:どうやって「穴」から戻ってきたのか、どうやってゴッサムに入ったのか、描かれないのはおかしい。

わたし:地獄から復活したバットマンが“突如”ゴッサムに降臨する、ということが重要なので、途中の手続きを省略するのは作劇上は間違っていない。バットマンの超人的能力は当然の前提となっているのだから、あえて逐一描写しなくてもいい。ネイビーシールズだってゴッサムに入れたのに、バットマンが入れないはずはないでしょう。
 あと、「穴」が別の大陸にあるってのは確実なんだったっけ。アメリカ国内にグァンタナモみたいなのがある、ってことはないか。中米あたりならヒッチハイクとかで帰還可能だけど。


町山智浩氏:ベインによって証券取引所が襲撃されたことは誰もが知っているのだから、不正に行われた売買でウェインが破産するのはおかしい。

わたし:襲撃事件があったからといって、すべての取引を無効にするわけではないと思う。無効にしたために大損した人に訴えられるだろう。指紋認証でウェイン本人として取引したのだから、少なくとも一時的には成立するのでは?「詐欺の証明には時間がかかる」というセリフで説明になっていると思う。
(証券取引がどんなシステムなのか全然知らないので自信ありませんが)

posted by 読書家 at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月04日

『双頭のバビロン』 皆川博子 著



『双頭のバビロン』 皆川博子 著 東京創元社 2012年刊

幻想色濃厚な歴史ミステリだ。
皆川博子さんの『死の泉』が好きで、またこういう感じのを書いてくれないかな、と思ってた。
ついに来た!という感じ。
去年読んだ『開かせていただき光栄です』も楽しいミステリだったけど、やや軽めで物足りなくもあった。
この『双頭のバビロン』は重厚でうれしい。

世紀末ウィーンに生まれた結合双生児ゲオルクとユリアン。幼くして分離手術を受けた二人は離ればなれに育てられる。
ゲオルクは貴族として育つが、廃嫡されハリウッドに渡り、映画の俳優・監督として頭角を現す。
一方ユリアンはその存在を秘せられ、ボヘミアの孤城で隠れるように暮らす。唯一の友は中国生まれの少年ツヴェンゲル。
それぞれの数奇な運命は、やがて交わっていく。

爛熟の都ウィーン、そして二大魔都ハリウッドと上海を舞台とした、退廃的で謎めいた物語だ。


昔の映画が好きな人間にとってはとくに楽しみの多い小説だ。ハリウッド、上海、ウーファと、私の好みの題材が目白押し(ウィーンにはいまいち関心薄かったけど)。巻末の参考資料も、オーストリア関係を除けば半分くらいは読んだことあった。
実在の人物や映画も登場。映画製作の内幕が興味深い。


双子の片割れゲオルク・フォン・グリースバッハのモデルはエーリヒ・フォン・シュトロハイム(ウィキペディア)。



シュトロハイムの監督作で私が見たのは『グリード』だけだ。これは本当にすごい映画だった。『双頭のバビロン』のなかでは『ゴールド』として描かれる。
俳優としての出演作は『大いなる幻影』以降の物しか見た憶えがない。昔の映画が好きとか言いながらこの体たらくか。

ついでながら、『双頭のバビロン』の読者なら、時代は下るがビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』は必見。映画についての映画の傑作。
ファンレターを書くところはシュトロハイム自身のアイデアだそうだ。グロリア・スワンソンの下着を洗わせるアイデアもあったがさすがにボツとなった。
ワイルダー監督がシュトロハイムに「あなたを演出できるとは光栄です。あなたの映画は10年先をいってました。」と賛辞を送ると、シュトロハイムは「20年だ」と答えたとか。ワイルダーのインタビューに載ってた(ただし『熱砂の秘密』の時のエピソード)。



「ダーティ・ハン」ことシュトロハイムの“乱痴気騒ぎ”はケネス・アンガー著『ハリウッド・バビロン』で読んだ。
シュトロハイム監督作の高級売春宿のシーンは秘密会議並みの厳戒態勢で撮影された。
『結婚狂想曲』にはあらゆる人種の売春婦が登場する。「黒人奴隷の貞操帯にハート型の南京錠をつけ、可愛いシャム双生児姉妹まで登場させるなど、シュトロハイムはオーストリア=ハンガリー帝国の退廃ぶりをしのぐ想像力を発揮した」そうだ。
この『ハリウッド・バビロン』にはハリウッドのスキャンダル史を描いた本。“ファッティ”・アーバックルの殺人スキャンダルなど。
この本は柳下毅一郎氏がもっとも影響を受けた映画本のひとつ、と書いてたので読んだのだけど、まあ読んで気持ちのいい本ではなかった。
読んで気持ちが良いのはやはり淀川さん。『淀川長治映画塾』冒頭では、子供の頃、まだ大正時代にシュトロハイム映画を見た感想を語っている。


上海映画についての話に移ると、『双頭のバビロン』に登場する中国人映画監督の汪啓明は、ウィスコンシン大学で文学と演劇を専攻した、という経歴が孫瑜監督と一致している。モデルというほどではなく、経歴を借用しただけだろうと思うが。(『上海キネマポート―甦る中国映画』より)

あと、以前に書いた関連ありそうな記事にリンクを張っておこうかな。古い記事も時々かき回してあげないと不憫な気がする。

・中国映画の父といわれる黎民偉について。秘密結社・青幇の杜月笙とも関係が深かったらしい。
 http://dokushoburogu.seesaa.net/article/27416677.html
・私が見た一番古い上海映画はたぶん『桃花泣血記』(1931年 卜萬蒼 監督作)。その感想。
 http://dokushoburogu.seesaa.net/article/27339420.html
・グリースバッハの前年、1926年に谷崎潤一郎が上海を訪問している。滞在記『上海交遊記』の感想。
 http://dokushoburogu.seesaa.net/article/27339420.html
 谷崎のような「支那趣味」はグリースバッハには無縁のようだが。それで巻末の参考資料は芥川はあっても谷崎はないのかな。
 ところでシノワズリの訳語は支那わずらいでいいのかな。
 (『双頭のバビロン』では「中国」という語を使わないようにしているようだ。ヒーナとか華人とか)
・映画に関するミステリとしては『フリッカー、あるいは映画の魔』が最高だと思う。その感想。
 http://dokushoburogu.seesaa.net/article/1393870.html


以下、ネタバレかもしれない感想

『双頭のバビロン』、ミステリとしてはどうなのだろう。結末は表面どおりに受け取っていいのかな。
ネタバレって書いたけど、そもそもネタがあるのかどうかもよく分からなかった。
章タイトルの法則が途中で狂うところがあって、このあたりに語りの詐術があるんじゃないか、と注意して読んだのだけど、分からなかった。
なんか裏があるのかな?
あとで検索して他の人の意見を見てみよう。

posted by 読書家 at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 推理小説、冒険小説など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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